日本遺産認定記念橿原プレミアム宿泊プラン

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橿原市観光情報

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宿泊者に「かしはらお散歩クーポン
(施設利用券)」
をもれなくプレゼント!!

橿原市に宿泊された観光客の方に、橿原市を拠点としてより多くの観光施設を周遊していただけるよう「かしはらお散歩クーポン」をプレゼントいたします。施設利用券(500円以上の施設は500円まで補助)を2枚ご利用いただけますので、寺社・博物館・レンタカー・物販コーナー等で割引の適用を受けることができます。詳しくは橿原市ホームページをご参考ください。

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飛鳥を翔た女性たち★日本遺産認定★

女性たちの活躍の軌跡を語る飛鳥時代の物語「日本国創成のとき−飛鳥を翔た女性たち−」が、 「日本遺産」に認定されました。日本の黎明期ともいうべき飛鳥時代の天皇の半数は女帝であり、 また、歴史を彩る多くのヒロインが活躍しました。 東アジア、ひいては世界規模の大きな交流の中で、女性の手によって国家としての日本が形づくられたのです。

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藤原宮跡

藤原京は、中国の都城を模して造られた日本初の本格的な都です。持統天皇がこの地に都を定めたのは694年。新たな都の造営は、亡き夫・天武天皇の遺志を受け継いだ中央集権国家の確立に欠かせない一大事業でした。都の大きさは、東西約5.3km、南北4.8kmであり、後の平城京、平安京をしのぐ古代最大の都でした。

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名勝大和三山(香山、畝傍山、耳成山)

香具山、畝傍山、耳成山の三山をいい、平成17年に名勝に指定されています。いずれの山も標高200mに満たない小さな独立峰ですが、平野の中に秀麗に浮かび上がる姿は、はるか万葉の昔から数多くの歌に詠まれ、人々に親しまれてきました。百人一首に収められている持統天皇の「春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり 天の香具山」の歌は、大和三山の中央にある藤原宮から香具山を望んだものといわれています。世界遺産候補の一つです。

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橿原神宮(神武天皇二千六百年大祭)

畝傍山の東南麓、約50万平方メートルもの広大な神域に佇む橿原神宮。玉砂利の参道と背景の深い森の緑が調和する爽やかで厳かな雰囲気は訪れる人を深く魅了します。祭神は初代天皇の神武(じんむ)天皇とその皇后・媛蹈韛五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)です。来たる平成28年4月3日は、神武天皇が崩御されてから2600年にあたるとされ、橿原神宮では「神武天皇二千六百年大祭」を開催し、年間を通じて盛大な諸行事が厳粛に執り行われる予定です。

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重要伝統的建造物群保存地区 今井町

今井町は江戸時代そのままのたたずまいと情緒を残す全国最大の重要伝統的建造物群保存地区です。東西610m、南北300mの地区内には今も500棟もの伝統的な町屋が残され、今も千人程の住民が暮らしています。重厚で面的な町並みは全国でも珍しく、最近ではNHKの朝ドラ「ごちそうさん」「あさが来た」のロケ地にもなっています。
日本に残された「最後の日本の町」、それが今井町です。

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神武天皇陵

記紀によれば、初代神武天皇は、日向から瀬戸内海を東に進み、難波(大阪)に上陸して東に向かって大和に入ろうとしましたが、地元の豪族に阻まれ失敗します。大阪湾を南下して熊野に上陸し、紀伊山地を長躯縦断して大和地方に進出し、ついに橿原宮で天皇として即位したとされています。

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本薬師寺跡

奈良・西ノ京にある薬師寺の前身にあたる寺の跡です。天武天皇が、後の持統天皇である皇后の病気平癒を祈願して、680年に薬師如来を本尊とする寺の建立に着手しました。完成途中に崩御され、持統天皇がその遺志を継いで完成させました。今では、夏から初秋にかけて群生するホテイアオイの花が一斉に咲き誇る花のスポットとして、多くの観光客が訪れます。

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八木町と横大路・下ツ道

現代の交通の要衝・大和八木駅の至近距離に伝統的な町家が300軒も残る「八木町(やぎまち)」があります。八木町の中心は、下ツ道と横大路が交差する日本最初の国道交差点「八木札の辻」であり、江戸時代には宿場町としてお伊勢参りや大峯山への参詣巡礼などで大変賑わいました。松尾芭蕉や本居宣長、吉田松陰といった人物もこの地を訪れています。この町を巡れば通りや辻などで昔懐かしい景色に出会うことができます。

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丸山古墳

全長320mの威容を誇り、奈良県下最大、全国でも第6位の前方後円墳です。古くは円墳とされていて丸山と名づけられましたが、その後、前方後円墳であることが判明しました。被葬者については、欽明天皇説や蘇我稲目説がありますが特定されていません。

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歴史に憩う橿原市博物館

博物館に隣接する史跡新沢千塚古墳群は、1,500年前のシルクロードの終着地の1つです。博物館では、この新沢千塚古墳群をはじめとする市内の遺跡からの出土品を展示しています。ガラスケースをできるだけなくし、資料本来の質感を実感できる展示や、土器を持ったり、出土品の復元作業を見学できるコーナーなどがあり、体験・体感型の博物館となっています。隣接する新沢千塚古墳群公園には、芝生の広場や遊歩道もあり、親子で楽しめます。

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おふさ観音

おふさ観音は、四季折々のお花が楽しめる「花まんだらのお寺」です。昔「おふさ」という娘が鯉ヶ淵のそばを歩いていると白い亀の背中に乗った観音様が目の前に現れたことから小さなお堂を建てたのがはじまりだと伝えられています。現在では、2,300種類以上のバラを楽しめるバラまつりや2,500個の風鈴が涼しげな音を奏でる夏の風鈴まつりでも有名です。

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益田岩船

橿原神宮前駅の西に広がる白橿ニュータウンの西南隅から山道を5分ほど登ると花崗岩の巨岩が現れます。いったい誰が何のためにつくったか不明ですが、昔から、星占いの台座・益田池の石碑の台石・横口式石槨の建造途中で放棄されたなどの説があります。大きさ東西約11m、南北約8m、高さ約4.7mもあり、初めて見る人はその大きさに圧倒されます。

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橿原市昆虫館

蝶が飛び回る姿を一年中楽しむことのできるユニークな自然系の博物館です。蝶が飛ぶ姿を模した形の放蝶温室では、日本の南西諸島周辺に分布する蝶、約10種類、500頭が飛び交う姿を年中観察できます。その他にも昆虫の生態を観察できる施設や1,000点以上の昆虫標本、化石標本を子どもにもわかりやすく展示しており、昆虫を見て・聞いて・触って・感じることができます。

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まほろばキッチン

「まほろばキッチン」は、全国最大級の売り場面積を有する農産物直売所を中心に産直レストラン、フレンチレストラン、フードコート等で構成しています。
生産者の顔が見える安全・安心な地場産農畜産物を消費者のもとへ届けるなど「地産地消」の輪を広げていきます。
●住所 〒634-0003 橿原市常盤町605-1
●TEL 0744-23-1301

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MICHIMO

飛鳥駅前に引続き、平成27年10月3日(土)から橿原神宮前駅で貸出され、一部走行可能エリアを拡大し、橿原神宮、今井町、耳成山、新沢千塚古墳群等のスポットが追加されます。また、同時に貸し出すタブレット(iPad)を利用したmichimoナビによる観光案内が魅力的です。

明日香村観光情報

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石舞台古墳

石舞台古墳は、全国最大級の石室で墳丘の盛土が全く残っておらず、横穴式石室の石室天井部が露出しています。天井が広く平らで、まるで舞台のように見えることから古くから「石舞台」と呼ばれています。被葬者は明らかではありませんが、7世紀初頭の権力者で、大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父の蘇我馬子の墓ではないかといわれています。

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高松塚古墳

高松塚古墳の墳丘は直径23メートル、高さ5メートル程度の二段築成の円墳であり、1972年3月21日に極彩色の壁画が発見され一大センセーションをまき起こしました。内部は横口式石槨で、凝灰岩の切石をもって築造されており、壁面には彩色壁画が描かれ、漆塗木棺が埋納されていました。また、壁画には側壁面に男女の人物群像、四神、日、月、天井部に星宿が描かれていましたが、その根本は中国の伝統的な思想を背景にしたものであり、高句麗、唐の影響が顕著に認められています。

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キトラ古墳

キトラ古墳は、横口式石槨内に描かれた世界最古の天文図などの壁画で知られる円墳です。7世紀末から8世紀初めの築造で、直径13.8m、高さ約3.3mです。平成12年に特別史跡に指定され、壁画には天文図のほか、玄武、朱雀、白虎、青龍の四神像、獣頭人身の十二支像などが描かれていますが、現在は保存のための修理作業が行われています。平成26年の4月から5月にかけて東京国立博物館で開催した「キトラ古墳壁画」特別展では、壁画を一目見ようと約10万人を超えるファンが訪れました。

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牽牛子塚(けんごしづか)古墳

牽牛子塚古墳は、飛鳥の西のエリア、古墳群を望見できる景勝の地に位置します。近年調査で対辺長約22m、高さ4.5m以上の八角形墳であることが判明しました。また内部は、巨大な一個の凝灰岩をくり抜いて左右二室に造った横口式石槨で、他に例を見ないほど精巧に造られており、天井は緩やかなドーム状の曲面をなしています。最近の調査では、斉明天皇の陵墓ではないかといわれています。

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川原寺跡

飛鳥寺、薬師寺、大官大寺とともに飛鳥四大寺に数えられ、平城京遷都後も飛鳥の地に残りました。斉明天皇の冥福を祈り息子の天智天皇が建立したのが創建です。西金堂と塔を回廊が囲み、その北側に中金堂、さらに北側に講堂を置く「川原寺式」伽藍で、現在中門跡などが整備され残されています。中金堂礎石に白大理石、複弁蓮華文の瓦を用いるなど壮麗な造りだったことが判明しています。

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酒船石遺跡

酒船石は史跡に指定されたがどのような用途を持つものかは不明です。ただ、従来からの俗称をそのままの用途であると見て、酒の醸造であると言う説、あるいは油絞りの用途と考える説、砂金などの精選の用とみる説、辰砂(水銀朱)を製造する説から曲水の宴の場所とみるなど様々な説などがあるが、いずれも決定的ではありません。

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飛鳥水落遺跡

飛鳥寺の北西に位置し、飛鳥寺の寺域の北西隅の西方が水落遺跡で、その北が石神遺跡です。水落遺跡は、7世紀後半の建物の礎石群のある方形基檀を持つ遺跡で、基壇(一辺約22.5m、高さ約1m)は自然石を三〜四段積み上げた正方形のものです。周囲には、底幅1.8mの濠状の溝を回し、この基壇の上に、方四間総柱(柱芯一辺11m)の楼閣が建っていたものと見られます。基檀中央に据えたママ石には、柱の底をかませたくり込みがあり、さらに礎石には、縦横斜めにも梁石を連結させ、堅固に据えています。

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大官大寺跡

大官大寺は、舒明天皇が発願した百済大寺を天武天皇の時代に移築・改称されたとされています。しかし、発掘調査の結果、現在の大官大寺跡の伽藍は、文武朝のものであることが確認され、書紀に記された天武朝の高市大寺は別にあったと考えられ、7世紀後半〜末にかけて国家の経営する大寺として、雄姿を誇り686年には天武天皇の病気回復の祈願が行われました。また、持統天皇の時には梵鐘を鋳造、文武天皇の時には高さ約100mの九重塔や金堂が完成し飛鳥の大寺院の一つとして荘厳をきわめたといわれています。

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天武・持統天皇陵

天武・持統天皇陵は、古代の陵墓では数少ない被葬者が確定している古墳で、形は八角形墳です。7世紀後半の築造で、南北径約50m、東西径約45m、高さ約9m。1235年に盗掘にあったと記す『阿不幾乃山陵記』によれば、全長約7.5mの横口式石槨の中には、金銅製の棺台の上に置かれた漆塗り木棺と、金銅製の外容器に銀製の骨蔵器があったといわれ、前者が天武天皇の棺、後者が持統天皇の火葬骨を納めたものと考えられています。

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鬼の雪隠・鬼の俎(おにのせっちん・おにのまないた)

謎の石造物に見えるが、石槨の蓋石(雪隠)と床石(俎)。7世紀中頃に築造された長方墳かとみられています。組み合わせたときの大きさは石室の最大長2.7m、幅1.9m。俎の東側でもう一つの床石も発見されており、一つの墳丘に二つの石槨をもつ合葬墓だったと考えられます。形から鬼が付近を通る旅人を俎の上で料理し、雪隠(トイレ)で用を足したと伝えられました。

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伝飛鳥板葺宮跡

飛鳥板蓋宮とは、皇極天皇(斉明天皇)の皇居で、643年に小墾田宮から新しく造営されたこの宮へ移されました。当時の宮が茅葺、桧皮葺であったのに対して、板蓋であったため、この名がついたと思われます。飛鳥板蓋宮は、「大化の改新」の幕開けとなる中大兄皇子等による蘇我入鹿の暗殺の舞台となりました。ここには複数の宮殿遺構が重なっており、現在復元されている石敷広場や大井戸跡は上層の飛鳥浄御原宮のものです。

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奈良文化財研究所 飛鳥資料館

飛鳥資料館では発掘成果を中心に、最新の飛鳥・藤原地域の研究成果を分りやすく展示しています。キトラ古墳の石室レプリカや高松塚古墳から出土した海獣葡萄鏡、飛鳥寺の塔心礎から見つかった宝物などは人気の展示物です。また、現存する法隆寺よりも昔に建てられた山田寺のかつての東回廊を本物の部材を使って再現しています。

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奈良県立万葉文化館

「万葉集」を中心とした古代文化に関するミュージアムです。歴史的風土や自然景観に釣り合った外観を持ち、館内では「日本画の展示」や「万葉集」を題材とした展示に加えて館内にある飛鳥池工房遺跡の発掘成果など文学・歴史・芸術の融合した総合文化拠点です。

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橘寺

聖徳太子建立の七ヶ寺の一つです。縦一列の「四天王寺式」の壮大な伽藍配置を誇ったとされ、火災の記録から680年には建立されていたことがわかります。室町以降は衰退し建物は何度も焼失し、現在の伽藍は江戸時代のもので、境内に残る花形の柱穴(はしらあな)の燈心礎は必見です。また一つの石に善と悪の二つの顔をもつ二面石があります。土佐光信画という「絹本着色聖徳太子絵伝(けんぽんちゃくしょく しょうとくたいしえでん)」のほか寺宝も多数あります。

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飛鳥寺

596年に仏教を保護した蘇我馬子の発願により日本初の本格的寺院として完成しました。三金堂が塔を囲む大寺で、法興寺 元興寺とも呼ばれています。平城遷都に伴い奈良の地に新たに元興寺が建立されて以後は、本元興寺と呼ばれました。鎌倉時代に伽藍の大半を焼失し、現在の本堂は江戸時代に再建されたものです。本尊の銅造釈迦如来坐像(重要文化財)は創建時、飛鳥時代の作で日本最古の仏像です。飛鳥大仏の名で親しまれ、寺の西側には蘇我入鹿の首塚と呼ばれる五輪塔が残っています。

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MICHIMO

超小型モビリティ「MICHIMO(ミチモ)」とは、自動車よりもコンパクトで小回りがきく、1〜2名定員の乗り物で、エネルギー消費量が自動車の約1/6、電気自動車の約1/2程度と環境性能にも優れています。コンパクトな車体で運転しやすく、狭い路地等の走行にも適しています。貸出ステーションは、飛鳥観光の玄関口・近鉄飛鳥駅前にあり、空きがあれば当日でもレンタル可能です。

桜井市観光情報

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長谷寺

686年、僧の道明上人が天武天皇のために銅板法華説相図(国宝)を西の丘に安置したことが始まりといわれています。平安時代には貴族、江戸時代には徳川家の崇敬を集め帰依を受けて栄えました。舞台造の本堂(国宝)は徳川家光による再建で、寺宝類としては、本尊十一面観音像をはじめ、約千点にも及ぶ文化財を所蔵します。仁王門を抜け、本堂へと続く登廊(重要文化財)は399段に渡る石段になっており、天井には楕円形の灯籠が吊られています。登廊は4月下旬から5月上旬に見頃をむかえるボタンに彩られます。

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大神神社

大神(おおみわ)神社は、三輪明神とも呼ばれ日本で最古の神社とされています。この神社に本殿がないのは、後方にそびえる三輪山を御神体としているためで、古代の信仰形態を現在に伝えています。1664年徳川家綱によって再建された拝殿(重要文化財)奥には、三輪鳥居とも呼ばれている三ツ鳥居(重要文化財)があり、古来より、この鳥居を通して御神体の三輪山が拝まれています。

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談山神社

藤原鎌足の遺骨を摂津国阿威山からこの地に改葬し、鎌足の長男定慧が木造十三重塔(重要文化財)を造立したのが発祥です。社名は鎌足が中大兄皇子と蘇我入鹿を暗殺するために談合をした「談い山」が由来となっています。漆塗極彩色、三間社春日造の本殿には鎌足像が祀られており、日光東照宮の手本になったといわれています。古塔の中では現存唯一の遺構である木造十三重は、鎌足の墓塔といわれており、紅葉の名所としても有名です。また紅葉の季節以外にも春、夏、冬と季節を問わず美しさを堪能することができます。

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安倍文殊院

645年に創建された安倍文殊院は、京都・天橋立の切戸文殊、山形の亀岡文殊と共に日本三文殊のひとつです。獅子に乗った木彫極彩色の本尊文殊菩薩は快慶の作で、総高7mと文殊さまでは日本最大で国宝に指定されています。学問と智恵が授かる仏さまで受験生の参拝も多く見られます。また、当山は今、大ブームを巻き起こしている平安時代の陰陽師・安倍晴明公の出生の寺でもあり、晴明公に因む様々な遺跡が数多く残されています。更に晴明公の霊力にあやかるため厄除け・魔除け・方位災難除け祈願に訪れる人でも大変賑わっています。

高取町観光情報

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高取城跡

南北朝時代、豪族の越智氏により高取山(標高583.9m)山頂にカキアゲ城として築かれたとされ、1585年に大和郡山城主豊臣秀長の名により重臣本田正俊が入城し、1640年に譜代大名植村家政の居城となりました。
また、高取城跡は日本100名城にも数えられ、比高が390mと最も高く日本三大山城の一つでもあります。

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壺阪寺

西国三十三所巡礼六番札所であり、「壷坂霊験記」の舞台ともなった壷阪寺には全国から多くの参拝者が訪れています。本尊の「十一面千手観音菩薩」は眼病封じの観音様として信仰されており、また約一万坪の広大な境内には重要文化財の三重塔や礼堂があります。

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くすり資料舘

大和売薬は、高取町を中心にした大和盆地の南部で江戸時代に確立され、全国各地を「大和の薬売り」として行商していました。「くすり資料館」には、当時の行商の様子を伝える道具や資料が展示されています。

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