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2012.4.25
  [レポート]
 
 
町の灯りがとてもキレイね〜♪
あなたは「横浜夜景」の歴史を知ってますか?
 
 
 
 

 
江戸時代、“お江戸日本橋七ツ立ち”と言われたように、早朝に日本橋を出発した旅人の最初の宿場は「保土ヶ谷宿」(横浜市保土ヶ谷区)が多かったそうです。ひとつ手前の「神奈川宿」の袖ヶ浦は東海道有数の景勝地と言われ、描かれた浮き世には、「本牧漁火」という文字が書かれています。東京湾で漁をする漁船の灯が、江戸時代の旅人にとっての最初の横浜夜景と言えるかもしれません。

1853年にはペリーが来航し、1859年に横浜が開港。すると開港場の整備が開始され、高灯(常夜灯)が点灯し始めました。これが、港ヨコハマの夜景の始まりです。港近くには歓楽街が生まれ、港崎町遊郭の「岩亀楼(がんきろう)」は夜の巷にひときわ異彩を放ち、盛り場における夜文化が発達したと言われています。1870年には、「伊勢山皇太神宮」が竣工。今の野毛山の中腹にある神社で、開港場を見下ろす場所として遠方から訪れる人も多いほどの人気に。そしてついに、“キリシタンの魔法”と称された日本初のガス灯が本町通りなどに登場したのです。

以降、着々と横浜の夜景が発展。1911年には、新しい「吉田橋」が開通し、夜は祝開通のネオンが点灯。1935年〜1950年にかけては、中華街の板看板も電照看板へと移行し続けました1932年には、伊勢佐木町が「エロとネオンサインとジャズとアルコールの世界」と呼ばれ(横浜貿易新報)、イセザキの夜の光景が全国的に有名になりました。しかしながら、時代は太平洋戦争へ。横浜大空襲により横浜中心部は全滅し、横浜の夜景も失われました。

戦後復興が進むにつれ、「横浜マリンタワー」(1961年)、「港の見える丘公園」(1962年)の登場に始まり、現代へと続く夜景や展望名所が勢い良く誕生していきます。そして、ブルー・ライト・ヨコハマ(日本初のミリオンセラー)の大ヒット。歌による夜の横浜イメージも訴求されました。さらに横浜夜景演出事業「ライトアップヨコハマ’86」がスタート。街ぐるみのライトアップ事業としては日本初の取り組みでした。そして、「横浜ベイブリッジ」や、都市夜景の象徴とも言える「みなとみらい21地区」といった日本を代表する夜景が生まれ、現在に至っています。

歴史を振り返ると、日本で最も先進的な夜景都市という側面が見えてきます。私が「横浜の夜景は古くて新しい」と感じてしまうのは、時代の最先端による新陳代謝を繰り返す“あかりの港”だったからかもしれません。
※写真は、喫茶をしながら横浜夜景を気軽に楽しめる「星降る☆カフェシップ」。
 
 
 
 
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夜景評論家 丸々もとお
 
丸々もとお[スーパー夜景サイト]
http://www.superyakei.com

「夜景評論家」(R)で夜景観光のパイオニア。立教大学観光学科卒。ぴあ、リクルート等を経て独立。 観光学、景観学、色彩心理学など学際的に評論する独自の「夜景学」を構築。執筆活動のほか、イベント、飲食&展望台プロデュース、地域活性、各マスコミ等で活躍中。神戸市、横浜市、長崎市、川崎市等の夜景観光アドバイザーを歴任。「夜景検定」の総監修。全国に広がる“工場夜景クルージング”の仕掛け人で、テレビ東京系「ソロモン流」で夜景の賢人として紹介。
 

 
 
 

       
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